part7の続きです。
一作書き終えて、一息ついて、また次作に取り掛かりました。
漫画は投稿すると翌月には結果が出るのがほとんどでしたが、
小説は投稿してから結果が出るまで時間がかかりました。
アレルギーに悩まされながらのここでの会社員生活をやめて、バイトをしながら執筆活動をしよう、と思うようになりました。
社長に辞めたいことを相談して、会社の仕事のキリがいいところで辞めることになりました。
フリーになり、アルバイトを探さなくちゃと思っていた矢先、
相次いで小説を投稿していた出版社から連絡がありました。
二社とも大手でした。今のように読み手より書き手が多いような時代でもなかったのでしょう。出版社は書き手を探していたようです。
二社とも私の小説を気に入ってくれて、特に初めに連絡をくれた出版社の担当者は、新しく出るシリーズで、私の作品を出版すると言ってくれました。
この急展開。
夢のようで、私は親しくしていた友達や、親に報告しました。
「私の書いた小説が本になる」
って。
友達も親も喜んでくれました。
もう一社も、親身に私を育てようと思ってくれていたようでした。ありがたかったです。
ところが、本を出してくれるという出版社にもう一社からも声をかけられていると話すと、
「それは困る。あなたはうちの作家さんとしてデビューするんだから。そちらは断ってください」
と言われてしまいました。
私はバカ正直で、世渡りが下手過ぎました。
うまくやればよかったものを、それをもう一社に伝えてしまいました。
“そちらの出版社でのご活躍がんばってください”
というようなお返事を頂きましたが、大変気を悪くされたのだと思います。
そんなわけで、一社にしぼって執筆活動に励み、書くと担当者に評価してもらうということをしていたように思います。
私は本が出版される日を心待ちにしていましたが、待てど暮らせど、その話は具体的になってきませんでした。
聞いても、うまくはぐらかされていました。
ついには新しく出るというシリーズが出版されましたが、私の本はその中には入っていませんでした。
挙句の果てに、出版社の担当者が、
「担当が変わったので」
と姿を消してしまいました。引き継ぎも何もなく。
一体、どういうことなのか、今でもよくわかりません。
その担当者は確かに、その出版社にいた人です。
でもインチキだったということでしょう。
その後、その上司と話すことができましたが、どういうことだったのか、チンプンカンプンでした。
一旦断ったもう一社も、もう相手にはしてくれませんでしたし、
私はせっかくのチャンスをつかみ損ねてしまいました。
結局、近々本が出るからということで保留にしていたアルバイトをすることにしました。
私は、働くこと=生産的なことが好きなんだと思います。
アルバイトを始めると、そこにもいろいろな人がいて、職場に行くのが楽しみでした。
アルバイトをしていた会社で、要するに「パラパラ漫画」なのですが、「めくり絵コンクール」というのが開催されました。
一般の方から作品を公募したのですが、その見本を、そこで働いている人たちが作らなければなりませんでした。
そういうことは得意なので、私は重宝がられました。喜んでもらえて、嬉しかったです。
ショールームに(誰でもパラパラ出来るように)展示すると、私の作ったのはすぐになくなってしまう、つまり、気に入った誰かが勝手に持って行ってしまう、ということでした。
実際はパラパラ漫画になっている。原稿をコピーしたもの。
そこのビルが改装されることになり、私がやっていたセクションの仕事がなくなることになりました。
すると、そこに出入りしていた関係会社の部長が、
「ここがなくなるなら、うちに来ないか」
と声をかけてくださいました。
私は再び、正社員になりました。カメラマンが撮影してきた映像を編集する仕事でした。
といっても、創作を忘れたわけではありません。
創作はいつも私の根底にありました。
その頃、投稿した小説が最終選考まで残ったことがありました。
その小説、現在小説ブログで公開しています。原稿用紙で100枚前後の作品です。
↓ちょっと長いですが、お時間がある時にでも、興味がありましたら読んでみてください。↓
「そんな夜の、とっておき」
主人公の女の子の言葉遣いが悪くて、叩かれました^^;
やっと少しずつ最終回が見えてきました! というところで次回に続く。
こんなん出てきました。
学生時代に描いたパステル画