part2からの続きです。
高校生時代、漫画家を目指して投稿を重ねていましたが、
下の方の賞をとれることはあっても、漫画家デビューには及びませんでした。
そういえば、夏休みには出版社が開催したスクーリングに参加し、漫画家の方たちとお話したりもしました。電話番号も教えてもらい、長電話した記憶が。
そして進路を決める時期になりました。
私は学生生活に疲れていました。
それはたぶん中学生時代から蓄積されてきたもの。
中学では一番厳しいと言われていたバスケット部に入りました。
ぼんやりしているところがある私は、自分を鍛えなければ、という意気込みで入部しましたが、バスケット部は練習も厳しかったですが人間関係が大変でした。
自分も周りもみんな思春期の多感な時期だったというのもあったと思います。
でも、その状況から逃げずにやり抜くことこそ尊い、と思い込んでいました。
元々、楽天的でどこか冷めている性格に救われてはいましたが、
ゴチャゴチャした人間関係と置かれた状況の中で、
表面的にはなんでもないふうを装い、
内面では自分の不甲斐なさを思い知らされ、
自分で自分を追い詰め、
追い詰められた自分を自分で救おうと足掻いていました。
心機一転、楽しむぞーと思っていた高校生活も期待通りにはならなかった、という落胆もありました。
客観的、冷静に考えれば、
自分が充分恵まれていることも分かっていて、
だからその状況でやっていくことを受け入れていたのですが、
挫折したような虚しさを感じて、
頑張ったって空回りするだけ、
もうどうでもいい、何かを期待するだけ無駄、と投げやりな気持ちになっていました。
それでも現実としては進路を考えなくてはなりませんでした。
高校卒業して働く、というのは、あまり想像できなくて、でもあと4年も学校に通うのも我慢できそうにない、と思ったので、短大進学を目指すことにして、親の許可も得ました。
目指したのは英文科でした。
教科の中で一番好きだったのが英語だったので。
しかし今、こうやって振り返ってみて、不思議に思いました。
「漫画家になる以外に道はない」
と思っていた私なのに、何故、美大進学が選択肢になかったのか?
仲良くしていた友人の中には美大に進学した人たちもいました。
身近にそういう選択をしている人がいながら、私は何故、絵をもっと学ぼうと思わなかったのでしょうか。
今回、あらためて自分発見、というか、
ああ、私の奥にはこういう想いがあって、だから、こういう選択をして、その後、ああいう流れになったのか、
というのが理解できたような気持ちになっています。
私は何とか、短大の英文科に合格しました。
しかし、その未来へと続くはずの敷かれたレールから、ドロップアウトすることになるのです。
つづく。