同じことを伝えるのでも「ほっこり」を心がける

私は方向音痴だ。

目的地に行くまでに3人くらいに聞いてしまったという経験も一度だけではない。
幸いなことに、私が道を聞くかたたちは、みなさん親切に教えてくださる。時には励ましてくださる。
私がかなり切羽詰まった様子で聞いているのかもしれないけれど。

自分が方向音痴だと自覚しているので、初めての場所に行くときには念入りに調べるようにしている。
最近はナビがあるから便利だけれど、それでも初めての場所に行くときには、
「無事にたどり着けるだろうか……」
と緊張してしまう。

そして目的地にたどり着けた時には、そこにいる人たちに、
「よかったー!着けたー!方向音痴なんで、着けるか心配だったんですー」
と言ってしまうことが多々ある。

これは言葉通り、
「(自分は)方向音痴だけど、無事に着けてよかった」
というシンプルな意味でしかなく、決して誰かを責める意味で発しているわけではない。

敢えて言うなら、別にしなくてもいい「私、方向音痴なんです」アピールをしているだけ。

さらに深く考えてみると、もしかしたら奥のほうに、
「(あなたは方向音痴なのに)ここにたどり着けて本当に幸運でしたね!」
と思ってもらえるかもしれないことを期待しているのかもしれない。
いえ、別に強く期待しているわけではないけれど、もしかしたら期待しているのかもしれない。

もうちょっと軽く、
「(あなたは方向音痴なのに)たどり着けて良かったじゃないですか!」
を少し期待しているのかもしれない。

つまり、
「(たどり着けて)良かったですー」「(たどり着けて)良かったじゃないですかー」という、”良かった&良かった”の、たわいのないやり取りを期待しているのかもしれない。

その”良かった&良かった”からは、なにも悪い感情が生まれないはずだと思っていた。

しかーし!
私の「方向音痴アピール」には、”良かった&良かった”というやり取りになる以外の受け取り方があると気づいた。

受け取り手によっては、
「ここに来るの、わかりづらかったです(わかりづらくて苦労した)」
とか、
「こんなところに来させるなんて!(不満です)」
というふうに受け取ってしまうらしいのだ!

そうなると、単なる方向音痴の話が「嫌味」になってしまう。

よって、受け取り手は傷ついてしまったり、頭にきてしまったりする。
むしろ自分を下げるつもりで発しているつもりの、
「私、方向音痴なんです」
が嫌味になっているとは悲しいこと。

でも、気づいたからには注意することができるのだ。
伝え方をちょっと工夫するだけで、誰も傷つけることがない言葉になるのだから。

例えばその場所が本当にわかりにくい場所だったとしても、
「わあ、隠れ家的なステキなところですね~」
とか、
迷った末にやっとたどり着けたのだとしても、
「あったかい場所に迎えてもらえてホッとしました~」
など。

迷いながらやっとたどり着けた事実は同じでも、伝え方で受け取り手の気持ちはぐっと、”ほっこり”ではないですか?

私は決して相手を不快にさせようと思っているわけではないのだから、
むしろ”良かった&良かった”という心地よい感覚を期待しているわけだから、このような言葉を遣うほうが目的を果たせるといえる。

言葉は生き物。
ひとつの言葉で幸せになれたり、傷つけてしまったりする。

ちょっとした心遣い。
今まで無意識に、良かれと思って発していた言葉たちさえ、見直していこう。
そこから良い人間関係も育まれていくのだ。

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