3.11

2011.3.11当時
都内にいた私の体験です。

当時の記述そのままです。

状況をつかめていなかった私の様子は不謹慎に感じられてしまうかもしれません。すみません。

でもこれがその時の私でした。

**************

地震があった時は都内でインタビューをしていた。

午後2時に約束をしていて、地震があったのが午後2時46分。

インタビューをしていたので、そのやり取りを録音していた。
「揺れてますね?」
「地震?」

最初は呑気な口調。

小さな揺れは、たまに体験するので、その程度の地震だと思っていたのだ。

「なんか大きいですね」
「ストーブ止めた方が」
「録音、止めます」

だんだん慌てた様子になり、レコーダーの停止ボタンが押される。

一階でインタビューをしていたのですが、
大揺れの中、二階へ移動。
足元がぐらぐら揺れ、普通に歩けない状態。

棚なども倒れてきた。

「こんな大きな地震、初めて」
「まだ揺れてます?」
「自分が揺れているのか、地面が揺れているのかわからないですね」
「外の電線が揺れてます」

ラジオをつける。

「震源、東京ですか?」
「東北みたいです」
「え? 東北が震源で、都内でこんな大きな揺れですか?」

このような会話をしていた記憶がある。

その後、余震がある中、中断していたインタビューを再開し、終える。

「電車、動いてないみたいですよ」
と言われ、
「ちょっと待っていたら動き出すかな?」
「今日、地震がくるなんて聞いてないですよね」
なんて、ここでもまた呑気なことを話していた。

歩いて帰るとしたら、線路沿いに2時間半くらいで自宅の最寄駅に着く、
とルートを調べて頂き、
「歩くの嫌いじゃないので、歩いて帰ります」
と、その方のお宅から出発した。

荒川の上を渡る橋は、やはり徒歩で帰宅するのであろうたくさんの人たちが行き交っていた。

日が暮れていく空を見ながら、
そういえば、先日行った伊勢神宮から、本当は今日、帰ってくる予定だったことを思い出す。

予約がとれなかったため、行くのを早めたのだ。

予約がとれていたら、帰ってこられなかっただろうな、
なんて、ここでもまだどこか呑気なことを考える。

出発した時は寒く感じていたのに、歩いているうちにマスクをかけているのも暑く感じるようになってくる。

知り合いからメールや電話がくる。

上の方に置いてあったものが落ちてきて壊れた、などの話を聞いているうち、
さすがに呑気だった気持ちも少しずつ薄れてくる。

途中通り過ぎたそれぞれの駅のシャッターは閉まっていて、
周辺のバス停には行列ができていた。

歩くのは嫌いじゃないし、私は早歩きの方だと思いますが、
JRの5駅分を同じ姿勢で歩き続けているうち、身体がだるくなってきた。

なので、たまに軽く走ったりした。そうすると、足の動きが歩いているのと変わるので、少し楽になった。

でも走り続けるのはしんどいので、また徒歩、を繰り返しながら、やっと最寄駅に無事に到着。

スーパーで買い物をして、帰宅。

部屋に入るときはドキドキした。

中がどうなっているのかと。

もしかしてガラスなどが壊れて飛び散っているのではないかと。

しかし、奇跡的に花瓶も倒れていず、上の方に置いてあったものも落ちていず、壊れたものもなかった。

誰にともなく、
「ありがとうございます!」
と感謝の気持ちを呟いた。

電気もつく、ガスも止まっていない、水も出る。

涙が出るほど感謝した。

でも電話はまるでつながらなかった。

メールが送りづらいながらもできる程度で。

あとはインターネットは普通にできた。

当たり前のように供給される電気、ガス、水、電話回線、
でも当たり前のことなんて何もないんだ、
これらがきちんと使えるのは素晴らしくありがたく幸せなことなんだって、
あらためて思う。

そしてテレビをつけて、愕然とする。

津波にのみこまれてしまった町。

こんなに被害が大きかったなんて。

こんなに被害者が多いなんて。

自然の力は大きい、甘く見てはいけない、ってわかっているつもりだった。

でも、こんなに突然、そのすごさを思い知らされることになるなんて。

子供の頃、祖母に関東大震災の話を聞いた。

自分が体験していない大地震の話を、無邪気に何度も何度もせがんだ。

祖母がいた場所はそれほどの被害はなかった、と聞いた。

この時には、自分もこんな大地震を体験することになるとは予想していなかった。

とりあえず、身近な人たちの無事を確認し、
歩き続けた疲れで、眠気が襲ってきたので、地震情報(および原発の情報)が気になりつつ睡眠をとることにする。

夜中に少なくとも3度は携帯のエリアメールの不気味な音で起こされた。

「緊急地震速報」という気象庁からの警告メール。

ありがたい情報とは思いながら、この着信音の不気味さに、毎回ぎょっとしてしまう。

翌土曜日、その日に予定していた約束は当然のごとくキャンセル。

知り合いの方から、家族を迎えに行くために普段なら自動車で20分かからないところまで大渋滞の中、4時間以上かけて行き、
やっと帰宅できたのが夜明けだった、というメールがきて、無事でよかったとはいえ、「本当にお疲れ様でした!」という言葉を返した。

大切なものがこんなにも簡単に奪われてしまう、なくなってしまう、

自然の力とは、なんて恐ろしいものなのだろうか。

まだ余震も続いている。

救助を待つ方々もいる。

一刻も早い救助を、と願う。

物資が足りていないと聞けば、何かできることはないのだろうかと思うけれど、
個人の思いつきで勝手な動きをするのは、かえって混乱を招くことになるのかもしれない。

とりあえずは節電、
情報は飛び交うけれど、間違った情報に振り回されないこと。

犠牲者の数が発表されるたびに、心が痛くなる。

そして、どうしたらいいのだろう、なにができるのだろうかという思いのループに襲われる。

でもこういう時こそ、まずはそれぞれが責任を持って自分の身を守ること、勝手な行動は控えることが大切なのかもしれない。

そして忘れてはいけないのは、「思いやり」ですね。

**************

ここで書いているように、この日、私は帰宅してテレビをつけて初めて事態の深刻さを知りました。

あの状況をみた誰もが傷つき、打ちのめされたことと思います。

私もそうでした。

何かできることはないのだろうか、どうしたらいいのだろう、
自分の無力さをも思い知らされました。

少しでも力になりたい、
同じ気持ちだった方たちは多く、地元のボランティアも定員いっぱいでした。

「早めに来れば受け付ける」
というボランティアに参加しましたが、
そんなことでは埋められない、
深い傷、自分が無事でいられたことに対する罪悪感にも近い心境……。

それでも生きている私たちは前に進まなくてはいけない、
納得できなくても事実を受け止めていかなくてはいけない……、
――矛盾する心を抱えながら生きていこうと思います。

与えられたいのちを生き抜きたいと思います。

いつも心に、自分が為すべきことを問いかけながら。

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