流派。

”ムビラ”というジンバブエの伝統楽器を習い始めてから、
かれこれ4年半くらいになる。


ムビラ

ムビラには師匠によって、いわゆる”流派(スタイル)”があり、
私はガリカイ・ティリコティを師匠とするガリカイ・スタイル一筋でやってきた。

ちなみに2013年にガリカイさんが初来日した時の記事たちはコチラ↓
https://oshigoto999.com/category/garikayi/

先日、いくつかの偶然が重なり、別の流派であるシンボッティ・スタイルのワークショップを受けた。

”違う流派でやってきた私が受けても大丈夫ですか?”
という戸惑いがありながらも。

ガリカイ・スタイルとシンボッティ・スタイルは、全く違う。

”ムビラ”であるという大雑把なくくりでまとめれば同じ”ムビラ”なのだけど、両者は全く違うと感じる。

どこがどう違うのか、
両者の特徴を簡単に言ってしまうこともできるけれど、
簡単に言ってしまうことはしたくない。

言えるのは、
例えばシンボッティ・スタイルのプレイヤーたちが合奏をしている時、
ガリカイ・スタイルでやってきた私の音を混ぜることなんて絶対に出来ないと思う。

それは、深遠で純粋な凛とした世界に、異のモノを混ぜることになってしまうから。

絶対に汚したくはない、どこまでもピュアな世界がそこにはあるから。

習ってきた流派(スタイル)を乗り換えるのは、
魂を入れ替えなくちゃできないくらいのことだと思った。

ワークショップの後、ライブがあり、
この日シンボッティ・スタイルのムビラを教えてくれたムビラ・プレイヤーである実近修平さんが、
私が持って行ったガリカイさん製のムビラを使って少しだけ演奏してくれた。

私は(自分のところに来てくれた)ムビラが伝えたいと想っている、ムビラのまた奥にある世界観を伝えたい一心で練習をしてきた。

ムビラは自分だけでは音を出せないから、
私は音を出す役目を任された、
私を伝え手としてのパートナーに選んでくれた、
だから、その想いに応えたい、応えなくちゃという気持ちでやってきた。

だけど、まだまだ未熟な私は、
きっと未だムビラの世界のドアをノックしているような状態で、
自分自身がムビラの世界観を感じることもできていず、もちろんそれを伝えることもできていない。

でも、修平さんの演奏を聴いていて、
私のムビラを弾いてくれている演奏を聴いていて、
その世界観の一端が感じられた気がした。

言葉で表すのは難しいけれど、
ムビラが伝えたい宇宙観、世界観、人生観、この世での在り方、またこの世に在るということ――

ああ、そうなんだ、
そういうことなんだ、
って思ったら涙があふれてきた。

こんな素晴らしいこと、私は力不足過ぎて、なんにも伝えられていない。

役目をもらったのに、なんにも果たせていない。

私はここのところずっと、自分が進む道について悩んでいた。

出ない答えを必死に探し続けていた。

この時の演奏の中で、ムビラが私に対して伝えてきたこともあったように感じた。

”もう自分(ムビラ)から解放されてラクになっていいよ”
かな? と思ったけれど、違うと感じた。

そう、
真反対の、
”これからも一緒にやっていこうよ”
私は思わず心の中でムビラに問いかけた。

”これからも続けられるように(神様に)お願してみようか?”
すごく喜んでいるムビラの気配が感じられた。

私もつられて笑顔になった。

ずっとガリカイ・スタイル一筋でやってきた。

ガリカイ・スタイルに対する想いは今までも今も変わらない。

でも今回の、いくつかの偶然が重なって触れたシンボッティ・スタイルの世界……。

他を知ることも学びだよ、
と教えられた気がした。

それが許されることならば、
”留学生”のような形でもいいので、シンボッティ・スタイルにも触れて行けたらと願っている。

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