中学生の頃|無駄ではなかった日々

――転ぼう。

転んで、足を挫いたふりをするんだ。

もう走れませんって言うんだ。

転ぶんだ、さあ転ぶんだ!

転ぶタイミングを狙っていた。

中学生の頃。

放課後のバスケット部でのランニング中。

汗も乾いて、顔は塩を吹く

その日はいつもより多く走っていた。

いつものコースを何周もして、
そろそろラスト一周かな?
と思っても、
「ラスト!」
の掛け声がかからなかった。

汗をかいて、
かく汗もなくなって、
汗も乾いて、顔は塩を吹いていた。

苦しい、
苦しい、
もう走れない。

転ぼう。

と思いついた。

転んで足を挫いたふりをしよう、
そしてもう走れませんと言うんだ。

さあ転ぶんだ、今だ! 今!!

その時、ハッと我に返った。

――自分だけラクをしようだなんて、私、なんてことを……。

私は一人で走っていたのではなかった。
先輩も同学年の部員も一緒に走っていた。

みんなの息遣いも荒かった。

自分だけが苦しいのではない。
みんなも苦しいんだ。
なのに頑張ってるんだ。

自分だけ逃げようだなんて、最低……。

頑張ろう、頑張るんだ、こんなことくらいで負けるもんかーーー!!!

そして私は他の部員と共に、いつもより長いランニングを走り終えた。

やりきった後には素晴らしいものが待っていると思っていた

良く言えば、のんびりおっとりしている(ハッキリ言うとぼんやりしている)私は、
中学生になる時、思った。

「こんな自分じゃダメだ。自分を鍛えなければ」

そして一番厳しいと言われていたバスケット部に入った。

しかし元来、ぼんやりの私は、
バスケット部の厳しさに度々挫けそうになった。

それでも、
「ここで挫けてはいけない。やりきる事こそ尊い。やりきった後には素晴らしいものが待っているはず」
と自分を励まし続け、3年間やりきった。

残ったのは挫折感だけだった

やりきった後には、
「そのことをやりきった」
ということしか残らなかった。

素晴らしいものなんて待っていなかった。

むしろ、
「一生懸命やったのに、なんにもならなかった」
という挫折感が残った。

私はレギュラーにすらなれなかったのだ。

しばらく挫折感を味わっていた。

もっと楽しい部活を選べばよかったのに、中学生生活が台無しになった、と思っていた。

無駄ではなかったと気づく瞬間が訪れる

だがその後、
このことが決して無駄ではなかったと気付くことになる。

それは、ふとした瞬間に訪れるのだ。

苦しくてたまらない時。
逃げ出したくなる時。

「もうダメだ、限界」
と思う瞬間に、
不意にあの苦しかったランニングの時の想いが蘇る。

やりきったことは確実に私の底力になっている

「頑張ろう、頑張るんだ、こんなことくらいで負けるもんかーーー!!!」

そして挫けそうになる私は泣きながらでも立ち直り、前を向く。

一生懸命やったことが無駄になるはずがない

無駄じゃなかった。

そう、一生懸命やったことが無駄になるはずがないのだ。

強い人間と弱い人間がいるのではない。

強くなろうと願う人と、
弱いままでいいと思う人がいるのだ。

私は未熟で、いつも挫けそうになって、悩んで迷って、弱音吐きまくりですが、
弱さを武器にして他者を傷つけることがないよう、
強くありたいと思う心を持ち続けられるようにと願う。

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ライター・校閲、メンタル心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
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