「バツイチ、コブつき、波瀾万丈。熱血クレメントの元気印ストーリー」
(クレメント・ニー・アダムソン著、大倉レイ訳 平凡社)
2002年2月25日出版の本を読んだ。
クレメント・ニー・アダムソン(Clement Nii Adamson)といえば、
「ここがヘンだよ日本人」という1998年~2002年にTBS系列で放送されていたバラエティ番組の出演者として知っている方が少なくないだろう。
今でもネット上などで番組を観ることができますが、
「声が大きい人が勝ちっていう時代だったっけ?」
と思ってしまうくらい出演者たちが大声でやりあっている。
発言している人の声もかき消されるくらいの勢いで。
でも冷めた観方をすれば、
大勢の外国人出演者がいる中、少しでも目立って番組に出られているチャンスを活かさなくちゃ!
という気持ちがそれぞれにあったのかもしれない。
さて、話を戻しますが、
この本は、番組の出演者の一人だったクレメント氏の生い立ち、バツイチ、コブつき(1度の離婚、子持ち)になるまでが語られたものだ。
冒頭に、
みなさんはこの本をお読みいただくうちに、おそらく何があっても夢や希望をあきらめない意志の力を体感してくださることでしょう。そして、恐怖や死と直面するようなことがあったとしても、決してあきらめることなく進み続けることができるようになるでしょう。そして異国の人びとの文化や習慣、宗教を、尊敬と素直な気持ちをもって受け入れれば、世界中のどのような場所でも、生き残っていけるでしょう。みなさんの身を危険にさらそうとする人が出現した時、そうした状況を理解するヒントもあることと思います。身を守るために、きわどい状況をいかに回避するのか。その一方で、時には愚かで無謀な行動や無知であると思われることが、身の危険を回避する術となることも知っていただけるでしょう。
と書かれているのを読み、
”おぉぉ~、この本を読んだら、力強く生きていくための何かを得られるかも!”
と期待した。
クレメント・ニー・アダムソン、1953年、西アフリカのガーナ共和国に10人兄弟の6番目として生まれる。
子供の頃は、漁師になることを夢見ていた。
高校卒業後、仕事をしながらサッカーをし、キングスカレッジで三年間、経済学と会計学を学ぶ。
プロサッカー選手になるため、ガーナでの貧困生活から脱出、ナイジェリアに行くことを決意。
1978年~1983年 ナイジェリア滞在の中で、サッカー選手の夢は断念、安宿で暮らしながらガーナ時代の5倍を稼ぎ、エジプトへの旅費を貯める。
エジプトで一日12時間働く。少しでも賃金の良い国へ行こうと思い、シリアに行くが、思い違いに気付く。
お金を貯めるため、内戦状態のレバノンに行くことを決意。戦時は建造物の修復などの仕事の機会もあるため。
旅客機の発着がなかったレバノンへ向かって、危険なベカー高原を命がけで歩いて横断。
レバノンで内戦に巻き込まれ、強制労働をさせられる。
レバノンで2年過ごした後、日本の好景気のニュースを知り、貯めたお金で(アフリカから見ると)世界の果て、極東(ファー・イースト)日本へ。(1986年)
当時の日本には英語を話せる人がまだ少なく、黒人も珍しかった。
クレメント氏は皿洗いをしながら合気道を習い、3年後には黒帯を習得。
日本に来て5年、ついに運命の女性と出会い、女性の家族の大反対はあったものの1992年、結婚。
ガーナに大邸宅を建てる夢があったが、結婚後まもなく妊娠がわかり、夢をとりあえず曲げ、妻子を養うため仕事を掛け持ち、時にはテレビ出演もする。
ところが結婚は3年で破局。
「息子をよろしくお願いします」という書き置きを残し、彼女は出て行ってしまった。
彼女が戻ってきてくれることを期待し、再婚をせず、”バツイチ、コブつき”のシングルファザー生活を送る。
本にはもっと細やかに描写されているのですが、それは読んで頂くとして、
なんとたくましい、過酷な、そして文字通り”波瀾万丈”な半生だろうか!
離婚についても、いろいろ語られていますが、この件については意見を述べることを控えたい。
何故なら、書かれているのはクレメント氏側からの見解であり、
もしかして相手側にはクレメント氏が知らない事情があったのかもしれないから。
私がクレメント氏の友人であったなら、その悲しく辛い状況について、励ますことをするでしょうけれど。
そして読了して思うのは、ガムシャラに生きていくエネルギーの強さについて、
また「生きていくこと」と「夢を見る」ことについて。
クレメント氏の夢は、
漁師、サッカー選手、愛する人との生活+ガーナに大邸宅を建てる、と変わっていく。
一見、一貫性がないように思える。
しかし、夢というのはそういうものでいいのではないかと思う。
つまり、
「夢はその形を変えても、いつでもそばに在る」
のではないかと。
形を変えるのは、実は幸せになるためであり、そして本来の夢の在り方は幸せになるためのものなのだ。
こう考えると、一貫性のないように思えるクレメント氏の夢は少しもブレていない。
夢は大きな活力になるが、
実現が叶わなくなることもある。
だがそれは「夢を失う」ということではなく、形を変えた夢との出会いになるのだ。
ひとつのことだけしか見つめていなくて気付けなかった、
大切なことに気付けるチャンスなのかもしれない。
”波瀾万丈”ぶりを描いた本ではありますが、
それでもガムシャラに真摯に生きていく姿は素晴らしい。
うまくいっていないカッコ悪い姿を見せたがらない人もいるかもしれませんが、
一生懸命な姿こそ、カッコいいのだし、それを笑う人たちがいるとすれば、それこそがカッコ悪いのだと思う。
これは、自身のひたむきな半生を語ってくれたことで、生きていく元気をもらえる本だ。
現在どのような暮らしをしているのかわからないけれど、幸せでありますように。
クレメント氏は著書の中でこう語っている。
「どんな文明でも、その目的は、私たちが死ぬまで幸せであることです」