ヒロシマ part2

今回、何回かに分けて掲載するのヒロシマの記事については、
私はただひたすら「伝える」ことに専念しようと思います。

実際に起こったことを、
それを経験された方のお話を、
その当時の想いを、
余計な解釈を加えずお伝えします。

二回目になる今回はインタビューを受けて頂いた知り合いの方のお義母さまの弟さん、
石田明さん(1928-2003)の著書をご紹介します。

石田明さんもまた被爆者です。


「ヒロシマの母の遺産」 石田明著 労働教育センター

昭和19年(1944年)、
石田明さんは16歳で
少年航空特別幹部候補生に志願しました。

滋賀県八日市の航空隊に入隊することになり、5月9日、故郷の狩留家(かるが)を出発しました。

汽車が狩留家のホームを離れ始めたとき、お母さんが、
「明や、身体に気をつけよ。帰ってくるんで」
と目に涙を光らせながら隠れるように言いましたが、
石田明さんは、遠のいていく故郷を見ながら、
「もう二度と帰ってこない」
と自分に言い聞かせました。

「元気か、明、元気か」
一週間から10日に一度は届くお母さんからの手紙は楽しみにしていました。

3か月の第一期訓練を終え、北朝鮮の会寧航空隊に配属になりました。

会寧は寒さの厳しいところで、11月でも零下10度以下になることもありました。

毎日、猛訓練が続き、上官に殴られることもあり、石田明さんはある夜、その日に届いたお母さんの手紙を思い出します。

※引用※
「明、元気かい。元気でやれよ」
「お母さん。口の血が止まらんのじゃ。どうしたらええんや」
タオルで口を押えながら、ひとりでつぶやきました。月の浮かぶあの日本海の向こうにいる母を呼びながら、涙が枕を濡らしました。
「お母さん、元気じゃ。くじけるかい」
軍曹への憎しみが体じゅうにこみあげてきました。しかし母への手紙には「元気でがんばっとる」と書くだけで、文字どおり”血のにじむ”軍隊生活の痛苦はけっして書きませんでした。わたしは十六歳でも大日本帝国軍人で、立派な兵隊ですから、けっして泣いてはいけないのです。奴隷のように打たれても叩かれても、体じゅうから血が吹き出ても、弾丸が飛んできても、死ぬまで「元気だよ」と母へ手紙を出し続けるのです。
小さな”帝国軍人”は、「お母さんおやすみ」、その夜もそういって眠りにつきました。

二回目の最後に、著書の冒頭にある詩をご紹介します。

不適切な部分もあるかと思いますが、
原文のまま掲載します。

*************

ヒロシマの母
あの原爆で 八月六日
生きつづけようとする
すべての生命を断たれたとき
けっして断たれず
生きつづけた あなたの愛
その崇高な愛をわたしは
限りなく 偉大と思う
その愛 それはヒロシマの母の愛
家もろとも大地に叩きつけられたとき
広島がヒロシマとなったとき
広島の母をヒロシマの母という
ピカッ その閃光とともに
人も 家も 木も
生きつづけようとする
すべての生命を断たれたとき
太陽が投下された その瞬間
あなたは叫びつづけた わが子の姿を求めて
重い重い柱を ぐんと力いっぱい押し上げて わが子を救い
力つきて そのまま わが子の名を呼びつづけ
生身のそのままで焼け死んだ ヒロシマの母
全身やけどして 全身やけどしたわが子を抱き
わが子の名を絶叫しながら 最後の一滴のお乳をふくませて
そのまま息をひきとっていった ヒロシマの母
血まみれの体をふんばって 大きく両手をあげ
荒れ狂う猛火に立ちはだかって 家の下敷きになった子を炎から
守ろうとたたかい
そして死んでいった ヒロシマの母
ようやく 大けがをした母がけがをした子を背負い 猿猴橋(えんこうばし)の方へ逃げる
あつい火の粉にたまらず 川に入り
わが子を背負いながらおし流されていった ヒロシマの母
戸坂(へさか)の峠道へ わが子を背負ってたどりつき
「兵隊さん 子どもを助けてやってください」
道ばたで わが子を託してそのまま死んだ ヒロシマの母
息をひきとった 大やけどの子どもに覆いかぶさって
「死んじゃいけん だれか助けてやってください」
手を合わせ 泣きくずれる ヒロシマの母
ようやくたどりついた学校の救護所で
やけどのくすりを「この子にさきにぬってやってください」と哀願する
全身にやけどして まっ赤にはれあがった ヒロシマの母
「わしの子はどこじゃ」
自分のいたみも訴えず 天に叫びつづけ
道に倒れていった ヒロシマの母
まっ赤に血に染まった白いチョゴリに
焼けた子どもを抱きしめて
「アイゴーアイゴー」と助けを求めて
けが人のなかをゆく ヒロシマの母
救護所で 一つもらったにぎりめしを
わが子に食えとすすめ
子どもの掌にのこった米つぶを拾って食べる ヒロシマの母
ヒロシマの母よ
いまそのいたみを 悲しみのいっぱいを吐き出し
わたしとわたしの子を返せと
アメリカに 戦争をはじめたやつらに ぶつけるんだ
ヒロシマの母よ
あなたは原爆とたたかった
原爆は
けっしてあなたの愛を消し去ることはできなかったのだ
ヒロシマの母よ
生きているあなたの愛が
燃えさかっている
あのヒロシマの日から
ずっと ずっと ヒロシマの傷が癒え
ヒロシマが
もう ないという証がたつ日まで
それは 永遠なる愛
ヒロシマから 日本へ 世界へ 未来へ
燃え広がるのだ
にんげんの永遠のために

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