南アフリカのハンドメイドアート&クラフト専門ネットショップ『マデリーフ&カニールス』オーナー:大塚久子さん

大塚さんが南アフリカに興味を持ったのは、1990年頃、「ワールド・アパート」という映画(カンヌ映画祭でグランプリ受賞)を観た時。

帰りの電車でも涙が止まらず、「南アフリカへ行ってみたい」と思い、その後10年以上経ってから、南アフリカに行く転機が訪れました。

インターネットで南アフリカ情報を探して出てきた写真家「澤野新一郎さん」のホームページに一面のオレンジ色のデージーが咲き乱れる南アフリカ、ナマクアランド地方の自然の花園が写っているのを見て、
「私はここへ行く」
と決め、2002年夏(南アフリカでは春先)に初めて、南アフリカ、ナマクアランドへ花見に出かけたそうです。


ナマクアランドデージー(ナマクア国立公園)

**ショップ名「マデリーフ&カニールス」とは**
マデリーフ(アフリカーンス語で『デージー』の意味)は、ケープタウン在住の70代の花のガイドさんで大塚さんのご友人のお名前。
カニールス(アフリカーンス語で『シナモン』の意味)は一人暮らしのマデリーフさんの頼もしい相棒だった犬の名前。この仕事を始める相談をしていた頃に天に召され、今は天国から彼女を見守ってくれているそうです。
(マデリーフ&カニールスのロゴはデージーと犬をモチーフにしています)


マデリーフさんのお宅にて。手前の茶色のブルテリアがカニールス。
奥の白いスージーもロゴに入ってます。

ショップURL:
★ http://madelief.jp/

***************

マデリーフさんとの出会いが、仕事を始めたきっかけ

――お仕事を始めたきっかけについて伺いたいのですが。

「ネットショップを始める前は会社勤めをしていたのですが、いろいろあって続けづらい雰囲気になってしまったんです。
その頃、何度か行った南アフリカがとても好きになっていました。
2006年に3度目に南アフリカへ行った時に、初めてマデリーフさんに会いました。
滞在中に“南アフリカに関係したことをやりたいけれど、何をするか考えなくちゃいけない”と言ったところ、帰国後、彼女が“あなたはこういうことが出来るから、こういうことが向いているのではないか”など、いろいろアドバイスを送って来てくれたんです。
初めて会った方なのに、なんでこんなにわかるんだろうと思ったのですが、そういう後押しがあって、これはやっぱりやるしかないなあと思いました

――マデリーフさんはどういう方なのでしょう? どのようにして知り合ったんですか?

彼女は花専門のガイドなんです。
2006年に南アフリカに行く際にどうしても行きたいところがあって、そのアレンジをしてくれました。
そこは現地ツアーでもまず行かない場所ですが、自分一人で車を運転していく勇気は無く、何とかツアーで行けないかとネットで探していました。
南アフリカでは、公共交通機関での移動はまず無理ですからね。
すると、何年か前に彼女がそこへのツアーをアレンジしたという情報があり、連絡をとってみました。
そのツアーは彼女が関係していた園芸関連誌が企画したツアーで、残念ながらその時だけだったのこと。それでも行きたいのならと、一人で行けるように手配してくれたんです。
この時行きたかったのはケープタウンから東に二時間くらい車で行ったところにあるタイボスというナチュラルガーデンだったのですが、その他に行きたいところはあるかと聞かれて、その先にある自然保護区にも行きたいと言ったら、マデリーフさんはその辺りに住んでいる自分のお友達に頼んで、私をケープタウンから2泊3日で往復出来るようアレンジしてくれたんです」


海辺のナチュラルガーデン、タイボス


まぶしい日差しの下のクノッピースボス(タイボス)


満開間近のキングプロテア(タイボス)

――初対面なのに、そこまで親切にしてくださったなんて、いい縁に恵まれましたね。

不思議なことに自分と合う人に必ず出会えるんです

――マデリーフさんはビジネスに慣れている方だったんですか?

「彼女は花専門のガイドなので、最初は本当に、そのタイボスというナチュラルガーデンに行きたいだけで連絡を取ったんです。それに、その時点では南アフリカ関連ビジネスは漠然とした希望でした」

――目的はビジネスではなかったとはいえ、素晴らしい出会いでしたね。
ビジネスをやる上で、良いアドバイスをしてくれる友人や、信頼できるビジネスパートナーは必要ですものね。
どんなにがんばっても、一人ではどうにもならないこともありますし。

特に(南アフリカの人は)私たちとちょっと感覚が違うところがあったりするので、信頼できる人と巡り合うことは大切です。
南アフリカの人でも、以前の会社員時代の仕事で知り合った人は日本人に近い感覚の方でした。
その取引先は研究機関だったせいか対応もスピーディーで、当時は、南アフリカもアメリカもヨーロッパも取引先としてはみんな同じイメージでした。
でも、この仕事を始めてからは、そうではなくて人によることがよくわかりました。クラフト職人さんはとてものんびりしています(笑)」

初めて行った時から、南アフリカの優れた色彩感覚に富んだクラフトに惹かれていた

――マデリーフさんはビジネスについて、具体的なアドバイスをしてくださったのでしょうか?

「近所の人が作っているフィンボス(西ケープ州に多く見られる灌木類。南アフリカの国花キングプロテアもフィンボスの一種)を使った石鹸やバスソルトをタオルとセットにしたものが結構人気があるんで紹介すると言われて、乗り気になりました。
ところが、石鹸もバスソルトも薬事法にひっかかるので、簡単には輸入できないことがわかりました。
どこかに依頼して輸入してもらうには、ロットが少なすぎ、これは現実的ではないと思いました。
マデリーフさんからは、同時に、クラフト(手工芸品)もいいのがあるよと紹介されていて、じゃ、そっちでいこう、と始めることになりました。
初めて行った時から、素朴な味わいとキュートな表情、優れた色彩感覚に富んだクラフトに惹かれていたこともあり、南アフリカの魅力や文化を伝える良い商材だと思ったのです。
マーケットや路上販売に立ち寄って、制作する姿を見たり、制作者やお店の方と話すのが好きでした」


ソウェトのクラフトショップ


地方のショップ


ヨハネスブルクの路上にて製作中


ケープタウンフラワーショーにて

ビジネスとして小さくても継続的にやっていくことが、大好きな南アフリカのためになる

――始めることに不安はありませんでしたか?

「その前に勤めていた会社は輸入をメインに行っていたのですが、小さい会社だったので、私が海外と連絡を取って、商談から輸入まで全部やっていたんです。
なので、物を輸入するということには経験があったのと、その頃の経験によって、きちんとした対応をしてくれる相手かどうか判断がつけられると思っていたので、出来るかなと思いました。
アフリカ関係の仕事というと、旅行関係かNGOかNPOがほとんどだったのですが、私はビジネスとして物を動かしたかったんです。
ビジネスとして小さくても継続的にやっていくことが、大好きな南アフリカのためになるのではと思いました

――私もそれはとても共感します。
アフリカは貧しい、お金がない、だからお金を寄付するというのは短絡的すぎる気がするんです。
彼らは決して病気で働けないわけじゃない、健全な身体を持っているのに仕事がなくて稼げなくて貧しい。
だったら、お金を稼ぐ手段を教えたり、実際に一緒にビジネスをしたりして、自立できるように手を貸すというのが長期のビジョンで考えたら、真の意味の共生だと思うんです。
それは将来的にお互いのためにもなっていくと思うんです。

「そうですね。クラフト輸入にもそういった意味もあって、出来ることを探して、トレーニングも重ねてスキルを身につけてもらう、そして自分たちの生活を成り立たせていくことが大切だと考えています。
日本向けにビーズを減らしてネックレスを軽くする、裏地を付ける等のアドバイスもしています」


ゲストハウスの部屋に置かれたビニール袋で作られた鳥

――そこから仕事が広がって、今につながっているのでしょうか。

「初めて南アフリカに行ったのは2002年で、翌年2003年も行き、そして2006年に行った時にマデリーフさんに会いました。2007年の頭に会社員生活は終わりになったので、そこから少しずつ考え始めて、今に至っている感じですね」

――マデリーフさんとは今でも連絡をとりあっていますか?

「もちろん、今も付き合いが続いています。
行けば会いますし、毎年私のオリジナルカレンダーを送っています。
時々メールもしてますよ」


初めて会った日のマデリーフさん(カーステンボッシュ植物園)

南アフリカブランドを浸透させていくのが私の仕事

――最初からネットショップにしようと思っていましたか?

「最初は卸を考えていたのですが、実績もなく、業界のことも知らずに始めたため、なかなかうまくいきませんでした。輸入のノウハウは知っていても、実際は販売することの方が大切なんですよ。
ネットショップはカタログ代わりと簡単に考えていたんですが、こちらも思いのほかとても大変でした。
当時はショッピングカート付きのレンタルサーバーがまだ出回っておらず、最初はソフトを買って、自分でショッピングサイトを作りました。
その時点でハンドメイドは一つ一つ違う、全て一点モノだということが、販売にいろんな意味で影響することがわかりました。
販売手段とは関係ない部分でも、始めてからわかることがありました。
日本では南アフリカがどこにあるのかもご存じない方が数多くいらっしゃいます。
インドネシア雑貨のように、イメージが定着してないので、いわゆるブランディングが出来上がっていないのです。
どうしても南アフリカ製でなくちゃということではなくて、似たようなものがあれば別にどこのものでもいいというような状態なんですね。逆にアフリカの雑貨というと、「お面?」とか言われてしまうこともあり、イメージを変えていく大変さも感じています。
在日南アフリカ大使館の方ともよく話しますが、南アフリカブランドを浸透させていくのが私の仕事なんだと、始めてから理解しました。
最初に事業計画をちゃんと考えればよかったんですが(笑)」

――商品の撮影はご自分でなさっているんですか?

「9割8分くらいはそうです」

――大変ですね。

「写真を撮るのはいいんです、最初より写真の技術も上がってきたと思います。
でも、商品は手作りで1個しかない。
価格に関わらず、ネットショップでの労力は同じようにかかるので、単価が安い商品は同じものがたくさんないと、ネットショップでは扱いにくい場合があります


ネットショップを始めた頃に撮影した商品画像

出店することはとても大切

――ネットショップと並行して、イベント出店などもなさっているんですよね。

「やっぱり直接商品をお客様に見てもらわないと難しいというのがあるのと、参加することによって認知を高めたいというのがあります

――そこから広がるお仕事もあるんですね。

「例えば南アフリカの『ドラムストラック』という公演が、2008年から日本にも来て、毎年全国ツアーをやっているんですが、一度2009年に観にいったんです。
たまたま同じ2009年に『Umoja』という南アフリカミュージカルの来日公演で販売をさせていただく機会があり、南アフリカ関連イベントなら商品を置いてもらえる可能性があるかなと思って。
でもかなり広い物販コーナーには実店舗もあるアフリカ雑貨のお店が入っていて、おまけにお店からスタッフも数人出ていたので、売り込みもせずあきらめていました。
そしたら昨年“南アフリカ色をもう少し出したいので、商品を置きませんか?”ってメールが入りました」

――こちらから自己紹介したわけでもなく、向こうからいきなりですか?

「ネットで検索して見つけたらしいです。毎年出店しているアフリカンフェスティバルにも来てくださって、どんな商品があるのかも見たらしいです」

――知らないうちに。

「そう。だからやっぱりネットだけではなくて、出店はとても大切なんだなあと思いました


ドラムストラック会場にて

――どこからどうつながるか、わからないですものね。

「知り合いにテツ山下さんというペーパーキルトアーティストの方がいるのですが、昨年12月に銀座で小作品展をやるにあたり、案内を置いてもらえるところはないかと聞かれたので、アフリカンフェスティバルの事務局をやっているアフリキコさん(アフリカ雑貨店)にも連絡を取って、店頭に置いてもらえないかと頼んだんです。
案内を送ったら、即電話がありました。
作品が気に入ったらしく、“今度のアフリカンフェスティバルのDMやポスターに使わせてもらえないか”と。

その話は着々と進行し、DMは既に出来上がり、ポスターやチラシを待っているところです」

――すごいですね! やはり発信していかないと、どんなに素敵なことをしていてもわかってもらえないのでしょうね。


2014年アフリカンフェスティバル案内

届いた商品の箱は、深呼吸して心を落ち着けてから開ける

――失敗談はありますか?

「頭に入らないネックレスとか」

――それは、留め具などで外したり留めたりできるようにはなっていないデザインですか?

「留め具はついていなくて、コードを縮めたり延ばしたり出来るタイプです。一番長く伸ばしても頭が入らなくて。
制作者のお宅にお邪魔した際に長さを伝えたら、制作用の机の上に目印をつけてたんですよ。そのサイズにしてくれたら頭が入らないなんてこと、なかったはずなのですが」

――なんでそんなことになっちゃったんでしょうね。材料費を浮かせようとしたとか?

「うーん、なんででしょうね? 他にもいろいろありますよ。ビーズストラップを50個注文したら、いろいろな色のストラップが入っていたので、そのつもりでまた注文したら、次は全部同じ色でした」

――それは、何故?

「手元にその時ある材料で作るのが原則なのです。色の指定無しという条件で注文しているので、全部同じ色であっても約束違反ではないのですが」

――感覚が違うんでしょうね。

「悪気はないんですが、びっくりしたりがっかりしたりです。
あと布のポーチで、人気がある商品なので何度か注文していました。
いつもMサイズを注文しているのに、3回目にそれまではと違うサイズのポーチが届きました。
でも良くメールを見直したら、1回目、2回目のサイズが間違っていて、3回目が合っていることがわかりました」

――日本人の感覚だと、そこで普通、確認しますよね。「このサイズになりますが、いいですか?」って。

「確認などはまずなく、そのまま送ってきます。
キリンの柄のポーチの、キリンの頭の部分が全部切れていることもありました。
それを見たお客様が”キリンが全身入っている物はありませんか?“って」

――なんでそういうことになっちゃうんでしょうね。

「布の使える部分がそういう状態だったからでしょう」

――それをそのまま使っちゃいました、みたいな。

「あとは、ゾウのポーチなのに、ゾウが入っていない部分を使っちゃいましたというような」

――それは……、ゾウとしては売れないですね。

「布自体は綺麗なんですけどね」


下のサイズと思っていたら、上のサイズが正しかったポーチ
キリンの頭が切れている。下はゾウが入っていないゾウ柄のポーチ

――じゃあ、そういうものなんだと思っていないと、イライラしちゃいますね。

「そうなんですけど、時々、本当に頭にきちゃいます。
木で作った動物のカバを何度か仕入れていますが、ある時、カバの木型がすっかり変わっちゃったんです。
表面処理もマットな状態だったのが、ツルツルになっていて。
制作者が変わったそうですが、それまでとテイストが違いすぎ、同じ商品とは思えませんでした。
日本人が考える「同じ商品」の幅に比べて、南アフリカの人の考える幅はかなり広いことはわかっていたつもりですが。
まあ、思った通りのものが届くという保証はないので、届いた商品の箱は、深呼吸して心を落ち着けてから開けるようにしています


右のカバのつもりで注文したら、左のカバが到着

“アフリカと商売をするのなら、届いたものは全て売る気持ちが無ければできません”

――返品はできないですか?

「できないですね。この仕事を始めた頃、アフリカンビジネスのセミナーを受けたことがあるんです。印象に残っている言葉が、“アフリカと商売をするのなら、届いたものは全て売る気持ちが無ければできません”

――何が何でも売らなければ、という気持ちですね。

「日本とビジネスをやるんだったら、これじゃダメだよ、と伝えても、あちらはあちらで、アフリカとビジネスをやるんだったら、こんな厳しい基準じゃ無理だ、と」

――日本は、信頼関係というのを大切にすると思うんですね。いい加減な会社とは付き合いたくないとか。南アフリカも同じような傾向がありますか?

「うーん、あるんじゃないかと思います。一回の取引で終わりじゃない方がいいというか」

――無理だと思えることでも引き受けてくれるでしょうか? 日本だと、多少無理と思っても引き受けてしまう場合もあると思うのですが。

「それはないですね。出来ないことは出来ないとはっきり言う人の方が多いです。日本人的な“勉強させて頂きます!”みたいなことは、まずないですね」

――金銭的な交渉、“いくらまで下げてくれれば買うんだけど”というようなのも日本人同士でのビジネスとは違いますか?

「違いますね。譲らないです。数が増えても変わらないし」

――日本だと、数を増やせば安くなるとか、買い手市場なところがあると思うんですが。

「南アフリカの物価は決して安いわけではないので、商品も高く売りつけているのではないと思うんですよね。
安くやらせようとすると、やる気が失せて商品のクオリティが下がる心配もあるんです」

取引では想定外のことが起こる

――仕事を始めて改めて気づいたことはありますか?

南アフリカではストライキがあります。鉱山のストライキがニュースになりましたが、例えば郵便局、税関などの職員もストライキするのですよ」

――賃金上げろというような?

「はい。一旦始まるといつ終わるかわからなくて。
EMSで送ろうと郵便局に持っていった商品を、ストライキに突入してしまったので返してもらおうとしたら、一度預かったモノは返せないと。じゃあ、商品はもう送ったのかと聞くと、バックヤードにあると」

――日本だとあり得ないですね。とりあえずは返してくれますよね。

「ストライキが出来るようになったことは良いことだと言われたことがあります。
でも日本で春闘で鉄道が止まったのは、もう数十年前のことですから、本当に想定外でした。
ただでさえ受注生産なので、注文してから商品が届くまで1か月半はかかってしまうのに

――日本がちゃんとしすぎているっていうのもありますよね。

「注文したら、その日のうちに届きますもんね」

3月にはイベントの予定があります。まだ渡航支援の許可が下りないのですが。

――今後の抱負について。

「細々とではありますが、継続していることを段々認めていただけてきたようです。
2011年には、南アフリカ政府から展示会へバイヤーとして来ないかという招聘をいただいて、サウスアフリカンハンドメイドコレクションという展示会に行ってきました。また昨年はTICAD V の際に開催されたアフリカンフェアに出店を大使館から依頼され、来日したズマ大統領に挨拶する機会もありました。
そのアフリカンフェアで取引開始が決まったナミビアの生産者ザ・ピース コレクションのリッキーさんが3月に来日することになっているんです。
ザ・ピース コレクションのナチュラルエシカルネックレスは、既に成田空港と関西空港の一村一品ショップで扱っていただいています。
まだ渡航支援の許可が下りないのですが、良い機会なので商品を売るだけではなく、イベントなどもやって行こうと思っています。
ワークショップなどもやりたいのですが、本当に来られるのかどうか決定しないと話が進めにくくて。渡航支援の許可が下りないとビザもとれないかもしれないし」

――3月って、もうすぐですよね。回るのは関東だけですか?

「イベントでは小倉にも行く予定です」

――3月からどれくらい滞在する予定ですか?

3月の半ばから6月半ばくらいまでです。そろそろ案内も出さなないとならないんですが


来日したズマ大統領と(アフリカンフェア)


サウスアフリカンハンドメイドコレクション


成田の一村一品ショップ

よく事業計画をたててから始めることが大切です

――同じようなお仕事を目指している方にアドバイスはありますか?

「よく事業計画をたててからやりましょう、ということです。自分が考え無しに始めた反省からですね。
時々、こういう仕事をやりたいんですという人から相談があるんですよ。
でもそういう方は私と同じく、後先のことをあまり考えていないことが多いんです。
“南アフリカに行ってみたらよかったから、何かやってみたい”とか。
あくまでもビジネスなので、自分でちゃんと計画を立てて実行できる人でないと、やることはおススメできません

――仕入ありきのお仕事ですから、資金も必要ですよね。

「そうです。資金繰りも重要な部分です。
あと自分で出来ないことは何かの形で補てんするということも考えておく必要があると思います。
私は会社員時代にいろいろな仕事をこなしていたので、一人で何でも出来るつもりになっていました。でも、それは大きな間違いでした。
また自分で出来ることでも、誰かにお願いして、その間に私は他のことをやったほうが、うまく進むこともあります。
その辺のバランスを考えて、仕事を進めていくのが、これからの目標でもあります」

(2014年1月31日)

***************

お忙しい中のインタビュー、ありがとうございました!

大塚さんはとてもパワフルでチャーミングな女性です^^

インタビュー中に出てきたリッキーさんの3月来日の予定がまだハッキリしないそうですが、
決定し次第、こちらでも告知させて頂きます。

イベントには私も取材も兼ね、ぜひ参加したいなと思っています。

リッキーさんが無事に来日されますよう、(心の中でもいいので)声を揃えて、リッキーさんにラブコールしちゃいましょう(笑)

せーの、、、
『リッキーさーん!』

ザ・ピースコレクションのリッキーさんと(アフリカンフェア)

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ライター・校閲、メンタル心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
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コメント

  1. ETCマンツーマン英会話 より:

    南アフリカの歴史を学んでいる過程で映画『ワールド・アパート』を見ました。中古のVHSを購入してやっと見ることができました。日本では余り人気のない映画なのかと思っていましたが、この映画がきっかけで南アでお仕事をすることになった方がいらっしゃることを知り、とても嬉しくなりました。ご紹介有難うございます。

  2. 管理人 より:

    コメントありがとうございます。
    映画「ワールド・アパート」のつながりで、インタビュー記事を読んでいただけたとのこと、とても嬉しいです。
    こちらこそ、ありがとうございます。
    私も今回、大塚さんに貸していただき、初めてこの映画を知りました。
    URLの記事も拝見しました。
    一人でも多くの方に知って頂きたい映画ですね。
    こうして書いて発信していくことが、少しでも知って頂くきっかけになれるのなら幸いだと思っています。

  3. 大塚久子 より:

    こんにちは
    マデリーフ&カニールスの大塚です。
    ワールドアパートをご覧になられた方がいらっしゃるなんて、とってもうれしいです。
    これまでこの映画をご存じだったのは、津山直子さんだけでした。私は津山さんがセミナ-でワールドアパートを取り上げた際もお邪魔して、バッググラウンドの話をうかがいました。あのお母様はホントにオシャレな方だったそうです。
    お父様のジョー・スロボはヨハネスブルクの通りの名前になっている方ですよね。
    事務所の壁にはってある写真がマンデラさんだなんて、全く気づかずに見ていましたので、少しは理解が深くなったかなと今も時々見ています。音楽も大好きでしたので、サントラも持ってるんですよ。
    人生、どんなところにご縁が転がってるかわかりませんね。たまたま見た映画が、大きな方向転換のきっかけとなったのですから。
    どこかでお話する機会がありますよう!

  4. 管理人 より:

    大塚さん
    コメントありがとうございます♪
    インタビューの際にも、お世話になりました。
    良いお話が伺えて嬉しいです。ありがとうございました。
    またイベントの際には取材できたら幸いです^^