中途障害者の自立支援をなさっている社会福祉士、相良宏司さんにお話を伺いました。
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今では15年続けている仕事ですが、この仕事をやるかどうか考えたのは2日間くらいでした。
――このお仕事に就いたきっかけについてお伺いしたいのですが。
「大学は理工系でした。卒業して普通のメーカーに就職したのですが、一人の仕事というか、機械が相手で、ほとんど人と話をせずに帰ることも多くて、理工系の勉強は嫌いではなかったんですが、仕事としては、こういうのはあまり向いていないと気づいたんです。それと、開発職で顕微鏡を見て機械の性能などを測る仕事だったのですが、私自身、見えないわけではないのですが生まれつき視力が弱いという障害があって、そんなこともきっかけとなって、この仕事は一生やっていくことではないと思ったんです。
仕事を辞めた時は具体的に何をやるか決めていなかったんですが、友達から福祉の施設でバイトを募集しているという話を聞き、調べてみたら、家の近くでバイトを募集している施設があったので、電話をして面接に行きました。どんな施設なのか、どういう仕事をやるのかもわからなかったんですが、面接の結果、“翌日から来てください”と言われ、働き始めました」
――早い展開ですね。
「そうですね。今では15年続けている仕事ですが、この仕事をやるかどうか考えたのは2日間くらいでした」
――最初にしたのは、実際に障害者の方と接するお仕事だったのでしょうか?
「そうです。生まれつき知的障害があったり、同時に身体的にも障害があったりという障害としては比較的重い方たちを介護する仕事でした」
――資格は持っていらしたんですか?
「いえ、持っていませんでした。持っていなくても出来たんです。今でも持っていないと出来ないということはないと思います。福祉業界全体が人材不足ですし」
――老人介護施設で働く方は介護福祉士、ヘルパーなどの資格を持っている場合が多いですが、障害者の施設でも同じですか?
「はい、同じです。仕事をしながら資格をとる方もいます」
ご本人の気持ちと同時にご家族の気持ちも考えるようにしています。
――初めは何となくバイトで始めたお仕事だったんですね。
「最初は一年契約だったんですが、仕事をしているうちに興味が出てきて契約を伸ばしてもらい、そのうちその施設のグループが新しい施設を作るために働く人を募集しているので応募してみたらどうかと当時の管理係長さんに言われて、応募したら採用されました。その後、異動して、今働いている施設に来ました」
――福祉のお仕事を始める人の中には“理想と違う”“仕事がきつい”と辞めてしまう方もいると思うのですが、相良さんの場合は『自分に向いている』と思ったのでしょうか?
「重い障害を持つ方々を日中だけお預りするという施設で、排泄時の介護などもありましたが、自分は初めからそれほど苦だと思わなかったです。それと重い知的障害の方と接していると、言葉は悪いですけど子供のように思えてしまうことがあって、でも成人されている方々なので、きちんと大人として人格を尊重して接していく、それを相手の方も受け止めてくださるという、そんなふうにいろいろと考えさせられることが増えてきたんです。それって理工系の人間が考えることとは違っているんですが、おもしろいなと思えたんです」
――理工系なだけではないものがご自分の中にあったんですね。
「そうかもしれないですね」
――それが今に続いている?
「はい、でも今の施設は生まれつきの障害を持つ方は少なく、大体が人生半ばで障害を持ってしまったという方なんです。多くの方は脳卒中なんですね、脳梗塞、脳出血、または交通事故など。身体にも麻痺が残っていたり、認識する脳の力も落ちていたりする方です。そういう方々の中で、病院での半年間のリハビリだけでは、地域での生活を再開するには不十分な方のための施設なんです」
――施設でもリハビリをやるんですか?
「はい」
――生まれつき障害を持っている方と、途中から障害を持ってしまう方とは違いますよね。ある時までは出来ていたことが出来なくなってしまうというのは、精神的なケアも必要になってくると思うのですが。
「そうですね」
――それも同時になさっているんですか? 施設内に専門家もいらっしゃるんですか?
「はい。臨床心理士にも週に2,3回来て頂いていますが、悩みを受け止めるということについては、職員も全員やります。人によって話しやすい相手も違うと思うので、施設全体でやるようにしています」
――ご本人だけではなく、ご家族の方も大変だと思いますが。
「病気や事故は急に起こるものですから、家庭での受け入れ態勢が整ってないことも多いです。なので、ご本人の気持ちと同時にご家族の気持ちも考えるようにしています。リハビリだけしてすぐに出ていくというのではなく、ご本人やご家族のストレスを考慮して、障害について少しでも理解して頂いたり、同じような状況にある家族の方たちと交流を持って頂く機会を設けたりしていきたいと思っています」
どう接していったらいいのかと悩んでいくことが大切なのかもしれないとも思います。
――入所して、そこでずっと暮らしていくことも可能なのでしょうか。
「いえ、それは最初にご本人とご家族と、福祉事務所(各市町村の担当の窓口)とで話し合いをして、入所するにあたってのゴールをどこにするかを決めるようにしています。いつまでもいていいとなると、他の方のニーズにこたえられなくなってしまうので」
――入所した時には家族がいたけれど、入所中に離婚などされて、家族がいなくなってしまう場合もありますか?
「はい。そういう場合は一人暮らしになってしまうんですが、障害があっても一人暮らしをするためのノウハウを福祉事務所と協力して教えて差し上げるようにしていきます」
――幅広いお仕事ですね。施設にいる間だけのことではなくて、その後、その方が自立して生活していくためにどこと連携していけばいいかというアドバイスもなさるんですね。
「はい、そうです。病院には半年しかいられなくて、施設に入所する時には自分は元通りになるのではないかと期待している方も多いんですね。でも時間が経つにつれて、少しずつは良くなっても、全くの元通りにはなれないと気づいていく、そしてその後、どうしたらいいのかを考えていくという時期を施設で過ごすことになりますので」
――そういう方々にどういった言葉をかければいいのか、どう接したらいいのかというのは難しいと思うのですが。
「そうですね。性格によっても違うし、こうすればいいというのはないですね。以前は若さからか、きつい言葉をかけてしまうこともありました。でも難しいですね。正しい答えはないように思います。どう接していったらいいのかと悩んでいくことが大切なのかもしれないとも思います」
――どれくらいの年代の方が多いのでしょうか?
「高齢な方が脳卒中などで障害が残った場合には介護保険の施設に行くので、我々の施設に来る方は30~50歳台の方が多いです。過労、不規則な食生活、アルコールなどが原因だったりするのですが、そういった方々が一人でも多く施設での時間を通して、地域に戻ったとき一人で、またはご家族と、自立した生活ができるようになればいいなと思っています」
――アルコールがやめられないという場合、その専門の施設がありますよね。
「はい、そういった方にはその施設や病院の紹介をしたり、近くで生活をして頂いたりというアドバイスをします」
――障害者対象のお仕事もありますよね。そういう紹介もなさっているんですか?
「日中、なにもしないのでは身体のためにもよくないので、積極的にそういった場で社会復帰して頂くお手伝いもします」
※「高次脳機能障害」についてもっと理解してもらって、支援してもらいたいと社会に訴えていくことも仕事
(※高次脳機能障害:脳の損傷によって起きる記憶障害、注意障害などで、自覚症状も少なく、外からもわかりにくい。)
――社会での再スタートを切る準備をするという、大切な期間を施設で過ごすことになるんですね。
「そうですね。だた、脳の障害なので、自分の障害が理解できないという方もいるんです。高次脳機能障害というのですが、場合によっては自分や自分の障害を理解でき難くなってしまう」
――障害について話をして理解して頂くということもなさるんですか?
「はい。でも話だけでは理解して頂けないんです。本人は“そんなことはない”という意識なので。なので、施設では小さな失敗体験を繰り返すことで気がつくように促すとか、実際に社会に出て少しずつ自分で気づいてもらうしかない場合もあるんです」
――外にも協力者がいないと難しいですね。いきなり一般の企業に飛び込んで行っても、周りの方が対処の仕方がわからないですものね。
「元いた会社に復職ということであっても、障害者を雇用させる就労支援の機関にも協力してもらって、我々と一緒に、今までとは違ってこういう障害があるので……、といったような説明をして頂くということをします」
――働くことによって、自分は前とは違うと認識することができるんでしょうか。
「障害を認識できる場合は、次のステップに進みやすいんです。認識できない場合は、受け入れてくれない社会の方がおかしいと思ってしまうので、そこから先に進めなくなってしまうんです」
――そういう方は見た目ではわからないんですよね。
「そうですね。仕事が遅いとか、何度言っても覚えないとかなので」
――判断が難しいですよね。障害があってそういう状態なのか、元々能力的にそういう人なのかというのは、知らされてなければ周りの人間にはわからないですものね。
「自覚がない方を支援していくことは難しいです。あとは考え方が変えられないので、自己主張がとても強かったりもするんです。グループワークの機会を持って、自覚して頂くことをしている機関もあります。少ないですが。職場復帰の場合には、理解してくれる人が職場にいることが必要になってきますね」
――まずは自分の状態を理解することが必要ですよね。闇雲にがんばればいいというわけではなくて。
「高次脳機能障害が認知されるようになったのはここ10年くらいのことなんです。こういった障害についてもっと理解してもらって、支援してもらいたいと社会に訴えていくことも仕事だと思っています」
人が人を支援しているので、自分で考えることが大切だと思うんです。
――やっていてよかったと思うことはありますか?
「我々はやはり、入所した方が社会復帰できるようにと夢を持ってやっていますので、元気にやっていると報告を受けると嬉しいです。それと職員が成長していくことも嬉しいです。私の役割は、職員をどう導いていくかということだと思っていますので」
――相良さんは1職員というだけではなく、責任者でもあるんですものね。
「利用者の方が人生の曲がり角にいる場に接していて、何も考えない職員はいないと思うんです」
――人生の曲がり角……、それまでの道を真っ直ぐには行けなくなってしまった、どの道を選んでどう歩んでいったらいいのか、曲がった先に何があるのか見えないし想像もできない……、そういった意味での曲がり角ですね。
「はい。そういう場に接していれば、何をして差し上げたらいいんだろうと、考えますよね。そういう時に私が“こうしなさい”と指示するのではなく、“こういう考え方もあるのではないか”と考えさせることが私の役割だと思っているんです。この職員だったら、この利用者に対して、こういった支援が出来るのはないかというふうに導いていくことですね。人が人を支援しているので、自分で考えることが大切だと思うんですが、職員から相談があったり明らかに間違っていることをしていたりする場合だけは意見を言います。いい意味での個性は活かして欲しいと思っています」
すぐに自分がやっていることの反応が返ってくる仕事でもあります。
――この仕事は“今”も考えなければならない、“今後”も考えなければならない、ご本人のこともご家族のことも考えなければならない、大変だけれど、やりがいもありますね。
「入所者の規模が最大30人という、それほど大きい施設ではないこともあり、一人一人の声が聞こえてくるので、やりがいがあります。目の前で手助けが必要としている人に手を貸すということで、すぐに自分がやっていることの反応が返ってくる仕事でもあります」
――何のお仕事でもそうですが、相良さんは今や責任者にもなられているわけですから、向いているということでしょうけれど、やはり向き不向きもあるでしょうね。
「私の場合はたまたま向いているのかもしれません。ドライなところがあるのもいいんだと思うんです。のめりこみ過ぎる性格だとつらいと思うので」
――ドライなだけではできないお仕事だと思うので、ドライな部分と熱い部分のバランスが取れているということなんでしょうね。人のことなんて関係ないというほど冷めていては出来ないですものね。
「そうかもしれませんね。ドライなだけでは、喜びも感じないでしょうからね」
コンプレックスだと思っていることが、落ち込んでいる相手の心の隙間に入っていって元気づけることにつながる場面も多い
――今後の抱負について。
「始めたばかりの事業で、入所者が半数なので、利用者を増やすこと。専門性を高めていくこと。単にリハビリの施設ではなくて、人生の曲がり角にいる利用者に対して、いい影響を及ぼしていける集団になるというのが大きな目標ですね」
――そのためには、職員たちの団結も必要ですね。
「チームワークも大切ですね。一人一人の特徴を活かして支援していくという、自分が出来ないことは他の人に任せるということも出来る集団になっていったらいいと思います」
――横のつながりというか、誰かから不満の声が上がった時に『あの人はこういうところがいいところだから、そこの部分で連携をとって』と指示することも責任者の力量ですね。
「そうですね。それも役目ですね。誰でもそうだと思うんですが、弱いところと強いところ、両方持っているんですよね。つらい体験を持っているとか、自分がコンプレックスだと思っていることが、落ち込んでいる相手の心の隙間に入っていって元気づけることにつながる場面も多いのではないかと感じます。スタッフ全員が、それぞれ互いの強さ・弱さを活かし合うようになって欲しいです」
(2012年2月18日)
マニュアルに従っていればいい”正解”があるのではなく、
それぞれが自分の心で考えることが大切なのだということ。
また「高次脳機能障害」についても初めて知りました。
こういった障害に対する世間の認識が、もっと広まっていくべきだと思います。